泉 鏡花 文体

発行者: 18.03.2020

利用規約 プライバシーポリシー FAQ. わたしは大学生の時、鏡花の「歌行灯」と「高野聖」が好きで、よく朗読していました。 謡曲、長唄、古典的な朗誦を真似ながら朗読したものです。 現代語ではありません。 現代語の感覚で読むと読めません。 自分なりにぴったりくる読みを発見してみてください。 私たちの時代には「黙読」が常になっていますが、その昔、一般庶民は音読が常でした。 おとうさんが新聞を音読するので、家族もみなどんなニュースが出ているか分かりました。 連載小説を聞くのが楽しみでした。 先日、朝井まかての小説『阿蘭陀西鶴』を読んでいたら、 西鶴が大声で文章を読むので長屋中に聞こえたという話が書かれていて、 興味深く感じました。 尾崎紅葉も泉鏡花も、みな音読していたのです。 これからは音読しながら工夫してみてください。 「高野聖」は講談口調では強すぎてしまうし、 徳川夢声の「宮本武蔵」の簡潔な読みは向いていません。 圓生の口語の噺口調とも違う。 鏡花の文章語独特の口調を発見するのはむつかしい。 しかも作品によって異なっています。.

主語があるのは最近で、主語がないのが日本の伝統。 日本の上流社会では、伝統的に会話のセキュリティ として主語を省略していたのです。 会話にないので文学にも主語がありません。 谷崎潤一郎は『源氏物語』を現代語訳する時に、 主語を追加していないので主語がありません。 平安時代は、本名を知られると呪術で呪われる というので、名前を知っているのは家族だけ。 名前を教える事「名を許す=体を許す」でした。 三田村鳶魚が最後の大名・浅野長勲に大名の暮らし 『浅野老公のお話』を聞き書きした時、浅野長勲が 主語のない話し方をするので苦労したそうです。 昔の時代劇でも、目上の人の名前を呼ぶ事は非礼 なので、武士は会話で身分の高い人を呼ぶ時に、 姓や名前でなく「水戸殿」・「尾張殿」という風に、 住んでいる地名などで呼ぶ事が多かったです。 幕府が外様大名の取り潰しを狙っている江戸時代は、 幕府に知られたくない話を隠密に盗み聞きされたら 大変ですが、たとえ聞かれても主語がなければ、 誰の事を言っているのか判りませんよね。 投稿日時 -

泉鏡花の文体について質問です。 泉鏡花の文体について質問です。 初めて泉鏡花の作品(「絵本の春」)を読みましたが、とても文体が変わっていて驚きました。 どこが主語なのかどこが述語なのかよくわからないこともしばしばあり、短編なのに読むのにとても苦労しました。 そこで質問なのですが、この文体は「正しい」ものなのでしょうか。 私たちが習った正しい文章とはかけ離れている気がしますが、これは泉鏡花だから許される文章なのでしょうか。そもそも正しい文体とは一体何なのかもわからなくなってきました。 少し変な質問かも知れませんが、御回答よろしくお願い致します。 投稿日時 - 通報する. 泉鏡花 という作家の面白いところって、独自の作風で同時代の作家たちとはちょっとズレた地位にいるというか、まあよく言われることではあるんですけど、とにかく立ち位置が特殊なんですよね。ジャンル的な意味でも、系譜としてもですが、 幻想文学 の先駆者で、昭和のアングラ文化にも繋がっていくような感じがあるというか。その一方で 泉鏡花 に影響を受けた作家はものすごくたくさんいて、 三島由紀夫 が鏡花を絶賛している文章とか面白いんですよ。私は 三島由紀夫 がめちゃくちゃ推してるのを読んで興味を持ったくらいで。 幻想文学 ではない作家でも鏡花が好きとか影響を受けたとかいう人が多いのはすごいなと思うんです。まあ文豪って大抵そういうものですけど、ジャンルを超えて愛されるというのは並大抵のことではないですよね。.

初めは読みづらいし、内容もよくわかんないし、なんじゃこりゃみたいに思いますけど、読めば読むほどその魅力に憑りつかれて 寝ても覚めても 鏡花、1週間くらいずっと読み続けるみたいな中毒症状を呈してしまう危ない力があるんですよ。鏡花を研究する人は相当精神が強くないとダメだろうと思いますね。だって耽溺してしまうもんな……。無理無理。 私が最初に読んだのは 高野聖 で、これはなんか途中の森で ヒル が大量に降ってくる描写が素晴らしすぎてメチャクチャ気持ち悪かったです。鏡花作品によく出てくる不思議な力を持った綺麗な女の人の印象よりも ヒル の印象の方が強いくらいで読むのやめようかと思った。 次に読んだのが『化鳥』という話です。これは結構短くて割と読みやすいので初心者にはいいと思うんですよ。私はこれでハマりました。 全編を通して少年の語りで進行していくのでほとんど全部台詞みたいな感じです。だから余計に鏡花のリズムの良さというのが際立って、するする読めてしまうんですよね。最近絵本にもなったのでそっちも読んでみたいです。 冒頭の文章は.

ヘミングウェイ 評価と実際の文章が真逆は何故? 翻訳家、金原瑞人氏がヘミングウェイについて次のように書いています。 ヘミングウェイの作品は文が短く、簡 泉鏡花など、古い文学作品が読めるようになりたい ネットで調べたり、高校の時の教科書などを読み返して「文語体」「歴史的仮名遣い」「旧仮名遣い」などの言葉は アイコンの説明 知恵コイン 画像投稿. それから鏡花作品に欠かせない要素と言えば、まず 人智 を超えた何か。 それは幽霊や妖怪のようなものであるときもあるし、人間の持つ力や人間によって作り出されたものであったりもします。 鏡花はとても信心深く、神仏や霊的なものの存在を強く意識していた人で、自身でも迷信家だと言っています。そういう思想が作品世界にもかなり影響していて、現実と幻想世界が交わるところを多く描いています。.

ogenkideshouka ogennkideshouka. FAQ.   wiki …… ! JavaScript Yahoo.

今までも最初の数ページで「読みづらいな」と感じる作品はいくつかありましたが、2、30ページも読めばいつの間にか慣れている、ということが多かったです。 例えば谷崎潤一郎の春琴抄は句読点が極端に少ないですが、30ページも読めばすっかり慣れてしまって、2度目に入ると句読点がないのがむしろ心地よいくらいになっていました。 瘋癲老人日記のカタカナ文も同様であっという間に「慣れ」がやって来ます。 漱石の草枕も、新潮文庫版の80~ページあたりには広辞苑にも載っていないような漢語が多用されていますが、一度意味を調べてしまえばあとは漢字の音をなぞる様にして読み進められました。 芥川も、何かを題材にとった作品は馬鹿に注解が多い これほど注解だらけの作家は私は他には知らない ですが、彼の文章は堅苦しいですが感覚的なところが少なく 鏡花の真逆 、読みにくいということはありません。 しかし・・・鏡花の文章は、感覚的な要素が強く、いまだ慣れません。 彼の文章をすらすら読み進められるようになるにはやはり何度も繰り返し読むしかないのでしょうか? それとも私の感性が鏡花作品に向いていないのか・・・ 皆さん、鏡花作品はすらすら読めますか? もしくは「慣れ」がどこかでやってきましたか? 回答お待ちしております。 あ、ついでに鏡花作品であなたが好きなものを教えてください。. でも私は 泉鏡花 を推したい……。日本人に生まれたからには、日本語を 母語 に持ったからにはぜひ鏡花を読んでほしいと思うんです。.

質問者が選んだベストアンサー

でも私は 泉鏡花 を推したい……。日本人に生まれたからには、日本語を 母語 に持ったからにはぜひ鏡花を読んでほしいと思うんです。. なお 泉鏡花 本人も相当面白い話が山のようにあってですね、文豪の中では比較的大人しい方ではあるもののそれなりにヤバいです。 重度の 潔癖症 だったのは有名ですがそれ以外にも 強迫神経症 の症状に悩まされること多々あり、紅葉先生がいなかったら死んでたのでは?くらいのことが自身のエッセイで語られています。他にも 奥さん のことが大好きすぎるとか、紅葉先生が大好きすぎるとか、紅葉先生を馬鹿にされたからって 徳田秋声 を泣くまで殴るとか、まあ色々ありますよね。 wiki だけでもかなりの情報量が……。 またエッセイが面白くて、私は『いろ扱ひ』が好きなんですけど、これは鏡花の読書遍歴が綴られていて、子供の頃に好きだった本の話や、学校で授業中にこっそり本を読んでいた話、父親に読むなと言われていた本を隠れて読んで叱られた話などなど、まあ色々面白い話がありますよ。読みたい本のレンタル料が高くて払えないからって塾の先生にもらった本か教科書かを売ったりとか結構悪いことしてるな!好きでたまらない本を抱いて寝るのはちょっと気持ちわかる。.

鏡花の一愛読者です。 >彼の文章をすらすら読み進められるようになるにはやはり何度も繰り返し読むしかないのでしょうか? 経験上、やはり慣れるしかないような気がします。 でも、我慢しつつ慣れるのを待っていても、おそらく期待通りには行きませんよね。 それよりは、好きこそものの上手なれとあるように、鏡花ならではの異界との融通無碍の交信能力に魅了された方が、より早く鏡花独特の文体、語り口を味わうことをこの上ない贅沢、快楽と感じさせてくれそうな気がします。 >それとも私の感性が鏡花作品に向いていないのか・・・ いいえ、はじめて鏡花を読み、すぐに自分の「感性が鏡花作品に向いてい」ると感じるなんてことは、誰よりも鏡花を高く評価した小林秀雄や、三島由紀夫でさえなかったでしょうね。 >あ、ついでに鏡花作品であなたが好きなものを教えてください。 私は、長篇では「眉かくしの霊」が、短篇では最晩年の 「縷紅新草」が一等好きです。 前者は、鏡花お得意の妖しいドッペルゲンガーの世界を、後者は、三島が「神仙の域」と絶賛した、哀しいほどに澄み切った抒情世界を描いております。 なお、「歌行燈」を挙げる方なんて、かなりの鏡花通でいらっしゃると思いますよ。 ナイス 6 違反報告.

泉鏡花など、古い文学作品が読めるようになりたい ネットで調べたり、高校の時の教科書などを読み返して「文語体」「歴史的仮名遣い」「旧仮名遣い」などの言葉は 主語がない方が日本の伝統というのは、あまり知られてない興味深い歴史ですね。そういえば現在の会話も英語は常にIとYouを常に付けるのに対して、日本語は主語を省略して話すことが多いですね。文章の上でもそれが普通であったということは頷けます。その理由がセキュリティの面から来たというのは、とても面白いです。また日本は狭い世界で、特に主語がなくとも以心伝心で伝わるということもあったのかも知れませんね。御回答ありがとうございました。 投稿日時 - 御回答ありがとうございます。 泉鏡花の文章は、正しいとか、正しくないとかを超越した、感覚的で幻想的でとても進んだものなのですね。 泉鏡花は、明治から昭和の初めの頃の作家ということですが、その後に出てきた文豪と呼ばれる人たちの文章の方が、文法的に基礎に忠実な感じがするのが不思議です。このスタイルは踏襲されず鏡花のみで終わったものなのか、またはその後、鏡花ほどの自由な人がいなかったのか…。このあたりは日本文学史の領域になるのかとも思いますが、とても興味深いです。 しかし今のところ御指摘のように、もう少し鏡花の作品をあまり堅苦しく考えず楽しんでみたいと思います。ありがとうございました。 投稿日時 - 泉鏡花の文章に「慣れ」はあるのでしょうか。 昨日から泉鏡花の高野聖を新潮文

wiki …….    !

今までも最初の数ページで「読みづらいな」と感じる作品はいくつかありましたが、2、30ページも読めばいつの間にか慣れている、ということが多かったです。 例えば谷崎潤一郎の春琴抄は句読点が極端に少ないですが、30ページも読めばすっかり慣れてしまって、2度目に入ると句読点がないのがむしろ心地よいくらいになっていました。 瘋癲老人日記のカタカナ文も同様であっという間に「慣れ」がやって来ます。 漱石の草枕も、新潮文庫版の80~ページあたりには広辞苑にも載っていないような漢語が多用されていますが、一度意味を調べてしまえばあとは漢字の音をなぞる様にして読み進められました。 芥川も、何かを題材にとった作品は馬鹿に注解が多い これほど注解だらけの作家は私は他には知らない ですが、彼の文章は堅苦しいですが感覚的なところが少なく 鏡花の真逆 、読みにくいということはありません。 しかし・・・鏡花の文章は、感覚的な要素が強く、いまだ慣れません。 彼の文章をすらすら読み進められるようになるにはやはり何度も繰り返し読むしかないのでしょうか? それとも私の感性が鏡花作品に向いていないのか・・・ 皆さん、鏡花作品はすらすら読めますか? もしくは「慣れ」がどこかでやってきましたか? 回答お待ちしております。 あ、ついでに鏡花作品であなたが好きなものを教えてください。.

泉鏡花の文章に「慣れ」はあるのでしょうか。 昨日から泉鏡花の高野聖を新潮文庫で読んでいます。 しかし文章のリズムが独特で、読み進めるのにかなり時間がかかります。. 主語があるのは最近で、主語がないのが日本の伝統。 日本の上流社会では、伝統的に会話のセキュリティ として主語を省略していたのです。 会話にないので文学にも主語がありません。 谷崎潤一郎は『源氏物語』を現代語訳する時に、 主語を追加していないので主語がありません。 平安時代は、本名を知られると呪術で呪われる というので、名前を知っているのは家族だけ。 名前を教える事「名を許す=体を許す」でした。 三田村鳶魚が最後の大名・浅野長勲に大名の暮らし 『浅野老公のお話』を聞き書きした時、浅野長勲が 主語のない話し方をするので苦労したそうです。 昔の時代劇でも、目上の人の名前を呼ぶ事は非礼 なので、武士は会話で身分の高い人を呼ぶ時に、 姓や名前でなく「水戸殿」・「尾張殿」という風に、 住んでいる地名などで呼ぶ事が多かったです。 幕府が外様大名の取り潰しを狙っている江戸時代は、 幕府に知られたくない話を隠密に盗み聞きされたら 大変ですが、たとえ聞かれても主語がなければ、 誰の事を言っているのか判りませんよね。 投稿日時 - 掲載情報の著作権は提供元企業等に帰属します。 利用規約 プライバシーポリシー FAQ.

…… ……! javaScript JavaScript JavaScript. Finders keepers, losers weepers.

ヘミングウェイ 評価と実際の文章が真逆は何故? 翻訳家、金原瑞人氏がヘミングウェイについて次のように書いています。 ヘミングウェイの作品は文が短く、簡 主語があるのは最近で、主語がないのが日本の伝統。 日本の上流社会では、伝統的に会話のセキュリティ として主語を省略していたのです。 会話にないので文学にも主語がありません。 谷崎潤一郎は『源氏物語』を現代語訳する時に、 主語を追加していないので主語がありません。 平安時代は、本名を知られると呪術で呪われる というので、名前を知っているのは家族だけ。 名前を教える事「名を許す=体を許す」でした。 三田村鳶魚が最後の大名・浅野長勲に大名の暮らし 『浅野老公のお話』を聞き書きした時、浅野長勲が 主語のない話し方をするので苦労したそうです。 昔の時代劇でも、目上の人の名前を呼ぶ事は非礼 なので、武士は会話で身分の高い人を呼ぶ時に、 姓や名前でなく「水戸殿」・「尾張殿」という風に、 住んでいる地名などで呼ぶ事が多かったです。 幕府が外様大名の取り潰しを狙っている江戸時代は、 幕府に知られたくない話を隠密に盗み聞きされたら 大変ですが、たとえ聞かれても主語がなければ、 誰の事を言っているのか判りませんよね。.

鏡花作品は内容がどうというより言葉の美しさに浸るものだというようなことを確か 三島由紀夫 が言っていたと思いますが、本当にその通りだと思うんです。内容は掴みどころがなくて不思議な雰囲気のものが多いし、結局よくわからんな……っていう感じだったり、何度も読まないとわからなかったりするものが多いんですが、文章がひたすらに綺麗で、うっかりすると向こうに引きずり込まれてしまうような引力があるんですよね。 中島敦 の『鏡花氏の文章』はこれまた面白いんですけど、 泉鏡花 の文章の持つ魔力みたいなものを非常にわかりやすく書いています。べた褒めじゃないですか……。もうこれ読んでもらえれば敢えて私が述べる必要もないんですが。.

利用規約 プライバシーポリシー FAQ. 学校の国語教育における誰にでもわかりやすい文章と文学には大きな違いがあることを知り勉強になりました。学校のお勉強はビジネス上は役立ちますが、文学、芸術とは一線を画すものですね。頭の中でこの二つの棲み分けが必要だと思いました。 日本の伝統も西洋からの影響を受け、ずいぶん変化していたのですね。ご提示いただいた作家さんの本を初め、この辺の事情がわかる書物や情報を探ってみたいと思います。御回答ありがとうございました。 投稿日時 -

  • 遠藤周作さん、文章の絵本があるそうなのですが 遠藤周作さんが文章を書かれた絵本があるそうなのですが、題名、内容などわかれば教えてください。遠藤周作氏の
  • 皆さんは 泉鏡花 という作家についてどの程度ご存知でしょうか。最近は文豪もイケメンになってゲームやアニメになっていますが大体 泉鏡花 のキャ ラク ターはいます。名前がかわいいからだと思ってますけど、それはさておき現代でも色々な場所で目にする日本を代表する文豪のうちの一人ですよね。しかしこんな記事を書くことになった私も少し前までは大体可愛い見た目にされる人という程度の認識しかありませんでした。なんか 高野聖 とか教科書に載ってたけど扱わなかったなあとか、太宰みたいに思春期に通りがちな作家(馬鹿にしてないです私も読みました)というわけでもないし、芥川とか 漱石 とかみたいにキラキラメインストリートという印象もなぜかない……彼らがメインストリートかは知りませんが。いや 泉鏡花 も王道ですけどね?!教科書に載るくらいだし。でも敢えて鏡花を読もうとかいう気になるのってよっぽど本が好きな人だと思います。今 泉鏡花 にハマってるんだ!とか言っても「あっ…そうなんだ、私はよく知らないけど」みたいな反応をされそうですよね。あとは二次元の話だと思われるかですよね。偏見すみません。.
  • 二度御回答いただきありがとうございます。お礼をこちらにまとめて書かせていただきます。 泉鏡花の文章が擬古文かどうかとかそんなこともわからないのですが、お書きいただいた内容はとても参考になりました。 私は、小学生の頃に句読点の間違いなどを先生から厳しく指摘された記憶があり(未だにきちんと理解も出来ていませんが)、また「この文章には主語がない」とか「述語がとのつながりがおかしい」とかも言われたような記憶があるので、やはり間違った文章と正しい文章というのがあるのだと思ってましたが、国語の作文の授業でバツとされる稚拙な文章と、熟成し、崩した文章というのは似ていながらも全然違うものなのかなと思いました。 しかし、泉鏡花ほどの有名な人なら、「その文章はとても変わっている」という評判は何か耳に入っていても不思議ではないのに全く聞いたことがなかったので、書かれたものを読んでとても驚いた次第です。 明治から昭和の初めの人ということですが、その時代の自由さにも驚くばかりです。今回、御指摘のような意図をもってこの作品が書かれていたとしたら、本当にその頃の日本文学は進んでいてすごいと思います。 いろいろ勉強になりました。ありがとうございました。 投稿日時 -
  • 御回答ありがとうございます。 泉鏡花の文章は、正しいとか、正しくないとかを超越した、感覚的で幻想的でとても進んだものなのですね。 泉鏡花は、明治から昭和の初めの頃の作家ということですが、その後に出てきた文豪と呼ばれる人たちの文章の方が、文法的に基礎に忠実な感じがするのが不思議です。このスタイルは踏襲されず鏡花のみで終わったものなのか、またはその後、鏡花ほどの自由な人がいなかったのか…。このあたりは日本文学史の領域になるのかとも思いますが、とても興味深いです。 しかし今のところ御指摘のように、もう少し鏡花の作品をあまり堅苦しく考えず楽しんでみたいと思います。ありがとうございました。.

3 …………. Finders keepers, losers weepers. - ……. …… …….

質問した人からのコメント

主語がない方が日本の伝統というのは、あまり知られてない興味深い歴史ですね。そういえば現在の会話も英語は常にIとYouを常に付けるのに対して、日本語は主語を省略して話すことが多いですね。文章の上でもそれが普通であったということは頷けます。その理由がセキュリティの面から来たというのは、とても面白いです。また日本は狭い世界で、特に主語がなくとも以心伝心で伝わるということもあったのかも知れませんね。御回答ありがとうございました。 投稿日時 - ヘミングウェイ 評価と実際の文章が真逆は何故? 翻訳家、金原瑞人氏がヘミングウェイについて次のように書いています。 ヘミングウェイの作品は文が短く、簡 文字ばかりで疲れてきました。画像を入れたい……。 泉鏡花 の文章について 勝手に 語ります。特に専門で研究をしているわけではないのでとても いい加減 です。絶対に鵜呑みにしないように。. 取り消す キャンセル.

FAQ.


Facebook
Twitter
コメント

コメントを追加

サイトに公開する前に、あなたのコメントがモデレートのために送信されます。

© 2015-2020 atelier-kv.com 権利留保
このサイトへのアクティブなリンクを使用する場合、コピーと引用が許可されます.