村上 春樹 書評

発行者: 09.06.2020

ふかえりの目が「牛河を憐れんでいるように見え」たのは、彼女には牛河が 1Q84 年世界の生贄として死ぬ未来が見えていたからでしょう。(BOOK3 第22章). アマゾンに注文していた梅棹忠夫編著『日本文明77の鍵』(文春新書)が届く。 以前、図書館で借りた本だが、よい本なので手元に置いておこうと思い

多くの 村上春樹 氏の作品は、作品の中にあえて「空白」が作られています。(「空白」を「謎」と言い換えてもよいです。)ある意味、「未完成の作品」となっています。その「空白」は読者が想像して「空白」を埋めて満たすことによって、はじめて物語として完成します。いわば、 村上春樹 作品は読者と作者の「合作」によって創られるのです。. 引用をストックできませんでした。再度お試しください 閉じる. A15.牛河は自分で気づかずに、天吾を青豆のところへ誘導する役をします。牛河を誘導したのはふかえりなのではないかと思われます。彼はふかえりの誘導のまま青豆を天吾の元へ導き、タマルに殺され生贄になります。おそらく誰かが 1Q84 年世界から他の世界へ脱出するには生贄が必要なのでしょう。彼は結局この歪んだ世界の謎を理解することもなく、巻き込まれ(危ない仕事をしていたので自業自得と言えばそれまでですが)世界の秘密に関わった故に殺される哀れな生贄です。.

A2.おそらく彼女は高校2年のときに、偶然天吾も ティンパニ 奏者として参加した音楽会の演奏を聴いたのだと思います。しかし、ここで出会わないんですね、2人は・・・・・・。何かの伏線かと思いましたが回収されず、何か妙な感じがします。(私が気づいていないだけ?). なぜ、『 ねじまき鳥クロニクル 』執筆時(1994~5年出版)と、『 1Q84 』執筆時(2009~10年出版)で、物語の構造が変化したのか?これは作者の世界観や視点が執筆した年代によって変化したためだろうと思われます。. A21(?).BOOK3 第10章で牛河が天吾と青豆の母校の小学校を訪れ副校長と話をします。しかし、牛河は副校長という言葉に聞き覚えがありません。それもそのはずで、副校長という制度は2008年4月から法律により施行された制度です。このため、1984年には千葉県の公立小学校には副校長は存在しません。しかし、 1Q84 年世界では既に副校長制度は導入されているのでしょう。この事は、牛河が 1Q84 年世界に迷い込んだことを示しています、と書こうかと思いましたがこの牛河は初めから 1Q84 年世界の住人ですよね。(牛河は最初から『さきがけ』と接触しています。)とすると読者に向けた、ここは 1Q84 年世界であるという、メッセージなんでしょうか?何か今更のような感じがします。ちょっとこれも保留です。.

その他の登場人物は、基本的には元々 1Q84 年の住人のはずです。彼らは最初から『さきがけ』の存在を知っています。しかし、天吾に関しては『さきがけ』のリーダーが「『君たち(筆者注:青豆と天吾)は入るべくしてこの世界(筆者注: 1Q84 年)に足を踏み入れたのだ』」(BOOK2 第11章)、「『君たちは言うなれば、同じ列車でこの世界に運び込まれてきた』」(BOOK2 第13章)と言っていますので、もともと1984年の人間なのだと思われます。.

SF .

  • この小説で1984年の元々の住人は青豆と天吾だけだと思われます。青豆は1984年から高速道路の非常階段を通って 1Q84 年に行き、最後に 1Q84 年から脱出します。.
  • 村上春樹の『騎士団長殺し』である。 作品は「第1部 顕れるイデア編」と「第2部 遷ろうメタファー編」の2巻で構成される。 読みごたえはあった 基本的に本は紙で読む主義である。 「電子書籍なんてケッ!」という想いをもっていた。(今でも、多少ある) が、しかし、である。 買ってしまいま

彼が「騎士団長殺し」でも挑んだテーマとは?

高野秀行・清水克行の『世界の辺境とハードボイルド室町時代』である。 世界の辺境を旅するノンフィクションライターと室町時代を研究する学者の二人 基本的に本は紙で読む主義である。 「電子書籍なんてケッ!」という想いをもっていた。(今でも、多少ある) が、しかし、である。 買ってしまいま Facebook Twitter はてブ Pocket Feedly.

ただ、青豆が 1Q84 年に来たときには、まだ天吾による『空気さなぎ』のリライトは出来ていないような気がするんですね。だから、「天吾くんの物語を語る能力」だけによって呼ばれたというのはちょっと厳しいと思います。天吾と青豆をこの世界に呼び込んだのは、やはりリーダーとふかえりな訳で、上記のように青豆の推測にリーダーが同意しているのは、自分達(リーダーとふかえり)が天吾と青豆を 1Q84 年に呼び込んだ事実をごまかすためだと思われます。.

読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる. なぜ、この小説の舞台が1984年なのか? ジョージ・オーウェル の小説にかけてというのももちろんありますが、まず オウム真理教 の前身である「オウムの会」が始まった年であるためです。そして、今日インターネットと呼ばれているネットワークの日本における実質的な起源であるJUNETが運用された年は1984年です。ある意味後世に影響を及ぼす 事象 の根源の年であった1984年を舞台にしようと作者は考えたのだと思われます。.

『世界は村上春樹をどう読むか』

これは上記でも書いたように、他の読者の方の「正解」を妨げるものではありません。「 村上春樹 的多元宇宙」の別の宇宙の解釈と考えて頂ければ幸いです。. ゴムの木については、映画『レオン』でレオンが世話をしていたゴムの木(正確には アグラオネマ という植物だそうですが)に関係していると言う方もいますね。). 私は、彼女は 1Q84 年世界における赤坂 ナツメグ なのではないかと思いました。BOOK3の当初の構想では、『 ねじまき鳥クロニクル 』で主人公が赤坂 ナツメグ に助けられるように、青豆も ナツメグ に助けられ、リトル・ピープルと対決する「反リトル・ピープル・クロニクル」のような「大きな物語」に巻き込まれていくというストーリー展開も考えられていたのかもしれません。しかし、青豆は ナツメグ の助けを拒否し、自分で(老婦人とタマルの助けも受けていますが)問題を解決しようとします。.

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『もういちど村上春樹にご用心』

村上春樹の描く小説の特徴として、登場人物たちの生活感の無さが挙げられると思う。 そこには血の通った人間はいない。 故に四国といった、土着の匂いの濃い土地が舞台なのは似合わないような気がする。 東京や北海道のような、ある意味、ニュートラルな場所なら、そうでもないのだが…。 四国は「四国八十八ヶ所」や「お遍路さん」に象徴されるように島全体が霊場であり、パワースポットともいえる土地だ。 そういう意味では、摩訶不思議なことを描きやすい場所かもしれないが、本書のようなマジックリアリズム的なアプローチの方法は四国には似合わないのではないだろうか?. これに対して『 1Q84 』は、 1Q84 年という「狂った世界」に主人公の2人が巻き込まれていくという「大きな物語」から始まりますが、『 1Q84 』の世界の問題はBOOK3の最後では放置され、10歳の時に手を合わせただけの恋人たちが再び出会う「小さな物語」に回収されます。.

このため、『 1Q84 』BOOK3では、対抗する別の「大きな物語」は提示されず、個人と個人の愛の物語、そして子供の誕生(この小説内ではまだ誕生していませんが)という「小さな物語」へと物語は回収されます。歪んだ「大きな物語」に対抗するには、別の「大きな物語」を作るのでは問題は解決せず、個々人の「小さな物語」を守っていくしかないという作者の現状へのメッセージが感じられます。.

しかし、『 ねじまき鳥クロニクル 』世界の牛河がいち早く危険を察知して逃げ出したのに対して、『 1Q84 』の牛河は自ら危険に巻き込まれて殺されてしまうのは対照的です。.

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『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)

なぜ、『 ねじまき鳥クロニクル 』執筆時(1994~5年出版)と、『 1Q84 』執筆時(2009~10年出版)で、物語の構造が変化したのか?これは作者の世界観や視点が執筆した年代によって変化したためだろうと思われます。. 小説 ミステリー 歴史・時代小説 SF ノンフィクション エッセー 漫画 雑誌 雑記. そして、最後に牛河の死体はリトル・ピープルの通路になります。(BOOK3 第28章)結局 1Q84 年世界は、リトル・ピープルの呪縛から逃れられません。.

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