世説新語 劉義慶 現代語訳

発行者: 12.05.2020

晋の文帝(司馬昭)は二陳(陳泰と陳騫)と同じ車に乗って、鍾會のところを通り過ぎ、同乗を呼びかけながら、捨て置いて先に行ってしまった。 鍾會が準備して出てきたころにはすでに遠くへ行ってしまっていた。 なんとか追いつくと司馬昭は嘲って言った。 「一緒に行こうと約束しておきながらどうして遅々としている。遙々として来なかったではないか」(注:当時父祖の諱を口にしたり聞いてはいけなかった。鍾會の父鍾繇の繇と遙は同じ音なのでそれをかけてからかった。) 鍾會は答えて言った。 「矯然として懿實なればどうして羣れて行く必要がありましょうか」(陳騫の父は陳矯、司馬昭の父は司馬懿、陳泰の父は陳羣) 司馬昭はまた鍾會に尋ねた。 「皇繇はどういう人だったのかね」 「上は堯舜に及ばず、下は周公、孔子に及びませんが、それでも一代の懿い人物です」.

謝子微(謝甄)は許子将兄弟(許靖、許劭)を見て言った。 「平輿の淵に二龍あり」 弱冠のころの許子政(許虔)を見て歎息して言った。 「許子政のような者は幹国の器である。色を正して直言するのは陳仲許のあしである。悪を伐ち不肖を斥けるのは范孟博(范滂)のようである」. 孫子荊(孫楚)は若い時から隠棲したかった。 王武子(王済)に語って言うには、 「まさに石に枕し流れに漱がん」と言うべきところを間違って「石に漱ぎ流れに枕せん」と言ってしまった。 王済は言った。 「流れに枕し石に漱ぐことなんて出来るのかね」 孫楚は言った。 「流れに枕するというのは耳を洗いたいと思うからだ。石に漱ぐのは歯を砥ぎたいとと思うからだ」.

晋の武帝の時、荀勗は中書監となり、和嶠は令となった。 故事に監と令は車を共にする。 和嶠は雅正な性格で、いつも荀勗の諂諛をにくんでいた。 後に公車がくると和嶠を乗って、正面に座り、荀勗を乗せなかった。 荀勗は別に車をもとめ、やっと行くことができた。 監と令に各々別の車を支給するのは、このことから始まった。. 魏武(曹操)は匈奴の使者と会見しようとしていた。 自分は容姿は陋しく、遠国を圧するには足りないと思った。 崔季珪(崔琰)を身代わりにして、自分は刀を持って牀頭に立っていた。 会見が終わって間諜に次のように問わせた。 「魏王はどうでしたか」と。 匈奴の使者は答えて言った。 「魏王は雅望は普通ではありません。しかしながら牀頭で刀を持っていた人、彼は英雄です」 曹操はこれを聞いて、追ってこの使者を殺させた。. 王安豐(王戎)は親の喪に遭い、その嘆き方は常人を超えていた。 裴令(裴頠)は弔問に行って言った。 「もし一度の慟哭で身を傷つければ、濬仲(王戎)は必ず哀しみが過ぎて姓名を損なったという謗りを免れないよ」 王戎の父の王渾は令命が有り、官は涼州刺史にまでなった。 王渾が亡くなると歴任した九郡で恩を蒙った人々はその徳恵を思って相次いで香典を贈る事数百万に及んだ。 王戎は悉く受け取らなかった。.

陳元方(陳紀)は父の喪に遭い、哭泣哀慟し、体は痩せ細った。 陳紀の母がこれをあわれみ、密かに錦のふとんをかけてやった。 郭林宗(郭泰)は弔問に訪れ、これを見て、言った。 「貴方は海内の儁才で四方は手本としている。なのに喪にあたって錦のふとんをかぶっているのはどういうことか。孔子曰く『夫の錦を衣て夫の稲を食う、汝に於いて安きか』と。私は納得できない」 言い終わると衣を払って立ち去った。 この後、百日ほど客は来なかった。. Big5 第1回~14回 儒林外史(清・呉敬梓) 新語絲 GB 巻1~巻9 道教類 黄帝陰符経 新語絲 GB 部分。 野狐禅師氏の入力。 中華文化網 Big5 部分。 太平経合校 中央研究院漢籍電子文献 (人文資料庫師生版) Big5 検索。 中華文化網 Big5 全文。 金丹四百字 (宋・張伯端) 仙学研究舎 SJIS. 陳元方の子の長文(陳羣)には英才があった。 季方の子の孝先(陳忠)と各々父の功徳を論じ、争ったが決着はつかなかった。 そこで祖父の陳寔にたずねた。 陳寔は言った。 「元方は兄たりがたく、季方もまた弟たりがたし」.

Big5 底本は『四部備要』本『陽明全書』(中華書局) 中華文化網 Big5 全文。 儒学類・礼教之属 顔子家訓集解 中央研究院漢籍電子文献 (人文資料庫師生版) Big5 検索。 中華文化網 Big5 全文。 三字経 私家版[中哲]電腦 田中昭仁氏 SJIS 底本は『注音白話註解三字経』(台湾力行書局) ChinaNewsDigest Big5 国立中央大学 Big5 入力者未詳。単維彰氏が校訂。 新語絲 GB 入力者未詳。単維彰氏が校訂。 新語絲 GB 歩冗氏の入力。底本は喩岳衡『千字文』(岳麓書社『伝統蒙学叢書』,年)。 中華文化網 Big5 中文昇電子図書館 GB.

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王大将軍(王敦)が年少の時、田舎と呼ばれ、言葉にも訛があった。 武帝(司馬炎)は投じの賢人を召喚し共に技藝のことを話し、皆多くを知っていたが、ただ王敦だけは関するものが無く、顔色はとても悪かった。 そして自ら「鼓吹を打つ術はしっている」と言った。 帝が鼓をとって与えると、座から袖を振るって立ち、ばちを揚げて奮撃した。 音は軽快で、気迫は豪上し、傍らに人がいないようであった。 座の人々は挙って雄爽さに歎息した。. 阮仲容(阮咸)と歩兵(阮籍)は道南に住み、他の阮氏の人々は道北に住んでいた。 北に住む阮氏は皆富み、南に住む阮氏は貧しかった。 七月七日、北の阮氏は盛んに衣服をさらし、それらはみな、紗羅錦綺だった。 阮咸は竿に大きな下着をかけて中庭に置いた。 人が何かあるのかと怪しむと、答えていった。 「まだ世俗から逃れる事は出来ないから、いささか真似した見ただけだよ」.

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何晏は老子を注釈してまだおわらなかった。 王弼と会うと、王弼は自分の老子注の主旨を説いた。 何晏の意見はよくないところが多かった。 なので何晏は何も言わずただうなずくだけであった。 そして遂にまた注を作る事はせず、道徳論を作った。.

English 検索。 故宮【寒泉】古典文献全文検索資料庫 Big5 検索。 底本は里仁出版社『紅楼夢校注』。 中文昇電子図書館 GB. 嵆中散はすでに誅殺され、向子期は郡の計吏に挙げられ洛陽に入った。 文王は引見して問うて言った。 「聞くところによると、君には箕山の志が有るという。どうしてこんなところに来たのかね」 「巣許(単父と許由)は狷介の士であり、多くを慕うに足りません」 司馬昭は大いに咨溠した。. Big5 第1回~14回 儒林外史(清・呉敬梓) 新語絲 GB 巻1~巻9 道教類 黄帝陰符経 新語絲 GB 部分。 野狐禅師氏の入力。 中華文化網 Big5 部分。 太平経合校 中央研究院漢籍電子文献 (人文資料庫師生版) Big5 検索。 中華文化網 Big5 全文。 金丹四百字 (宋・張伯端) 仙学研究舎 SJIS. 諸葛亮が渭水のほとりに侵出すると、關中は震動した。 魏の明帝(曹叡)は深く晋の宣王(司馬懿)が戦う事を懼れ、辛毗を遣わして軍司馬とした。 司馬懿はすでに諸葛亮と渭水を挟んで陣を構え、諸葛亮が誘い出そうとした挑発はあらゆる種類のものだった。 司馬懿は果たして大いに怒り、重兵をもって応戦しようとした。 諸葛亮が間諜を放って敵陣を覗わせた。 間諜が帰還して報告した。 「老人が一人いて、毅然として黄鉞をもって軍門に立っておりました(だから敵は出陣できません)」 諸葛亮は言った。 「それは辛佐治(辛毗)に違いない」.

鍾毓、鍾會は若いころから評判が良かった。 鍾毓が十三歳の時、魏の文帝はこれを聞いて、鍾毓の父の鍾繇に語って言った。 「二人を連れてきなさい」 そこで勅を発してまみえた。 鍾毓が顔に汗を掻いていた。 曹丕は問うた。 「どうして汗を掻いているのか」 「戦戦惶惶として汗が漿のように出るのです」 また鍾會に問うた。 「どうして汗を掻かないんだ」 「戦戦慄慄として敢えて汗が出てきません」. 王経若くして貧苦であったが、仕官して二千石になった。 母はこれに語って言った。 「お前はもともと貧しい家の出身です。出仕して二千石となりました。これでもうよいでしょう(これ以上出世する必要はないでしょう)」 王経は聞かなかった。 尚書となって魏を助け、晋に忠でなかったのでとらえられた。 王経は涕泣して母に別れを告げ言った。 「母のいましめに従わずこういうことになりました」 母は悲しむそぶりを見せずに言った。 「子となっては考、臣となっては忠。考あって忠あり、どうして私にそむいたといえましょうか」.

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GB 原本は太陽昇中文図書館本。 世説新語箋疏 中華文化網 Big5 全文。 萍洲可談 (南宋・朱イク) 北海道漢籍データベース SJIS 勝山稔氏の入力。底本は『後山談叢・萍洲可談』(上海古籍出版社,年9月)。 雨窓集 (明・洪〓) 北海道漢籍データベース SJIS 勝山稔氏の入力。底本は『清平山堂話本』(上海古籍出版出版,年)。 醒世恒言 (明・馮夢龍) 北海道漢籍データベース SJIS 巻1 勝山稔氏の入力。底本は『醒世恒言』(江蘇古籍出版社,年)。 新語絲 GB 買油郎独占花魁(第3巻)・蘇小妹三難新郎(第11巻)・金海陵縦欲亡身(第23巻)のみ 巻3は蒋華氏の入力。底本は『醒世恒言』(人民文学出版社,年)。老猫氏が吉林文史出版社本により校補。巻11は蒋華氏の入力。底本は『醒世恒言』(人民文学出版社,年)。老猫氏が校対。巻23は清華文通によるOCR入力。底本は吉林文史出版社年排印本。老猫氏が校訂。 警世通言 (明・馮夢龍) 北海道漢籍データベース SJIS 巻1~巻4。 勝山稔氏の入力。底本は『警世通言』(江蘇古籍出版社,年)。 浮生六記 (清・沈復) 新語絲 GB 巻1~巻4 熊龍峯四種小説 北海道漢籍データベース SJIS 勝山稔氏の入力。底本は『熊龍峯四種小説』(上海古籍出版出版,年)。 小説類・志怪之属 捜神記 中央研究院漢籍電子文献 (人文資料庫師生版) Big5 検索。『新校捜神記』。 中華文化網 Big5 全文。 捜神後記 (晋・陶潜) 新語絲 GB 巻1・巻2 方舟子の校対。 閲微草堂筆記 (清・紀イン) 新語絲 GB 部分 亦非氏・国故生氏の入力。 小説類・伝奇之属 趙飛燕外伝 (漢・伶玄) 新語絲 GB 老猫氏・〓氏の入力。 遊仙窟 (唐・張文成) 新語絲 GB 叙陳正甫会心集 尹小林氏の入力。底本は『遊仙窟』(上海書店,年,景北新書局本)。『唐人小説』(上海古籍出版社,年)により老猫氏の訂。 種樹郭〓駝伝 (唐・柳宗元) 中華文化網 Big5 凶人 霍小玉伝 (唐・蒋防) 中文昇電子図書館 GB.

荀奉倩(荀粲)は婦人(曹洪の娘)と至って仲睦まじかった。 冬になると婦人が発熱し病となると、中庭へ出て自分を冷やしてかえり、身をあてて(婦人を)暖めた。 婦人が亡くなると荀粲も間を置かずに亡くなった。 このため世間からそしりを受けた。 荀粲は言っていた。 「婦人は徳称するほどのものではない。容姿を一番とするべきだ」 裴令(裴頠)はこれを聞いて言った。 「これは興が乗ったから言っただけで盛徳の言葉ではない。願わくば後世の人がこの言葉にくらまされないように」 賈公閭(賈充)の後妻の郭氏は嫉妬が激しかった。 男児がいて、名を黎民といい、生まれて満一歳であった。 賈充が外から帰ってくると、乳母が子供を抱いて中庭にいた。 子供は賈充を見て喜びはしゃいだ。 賈充は乳母の手の中の子に口づけをした。 郭氏は遠くからこれを見て、賈充が乳母を愛していると思い、乳母を殺した。 子供は悲しんで啼泣し、他の人の乳を飲まず、遂に死んでしまった。 郭氏にこの後子供が生まれることはなかった。.

徐孺子(徐穉)は九歳で、月下で戯れていた(遊んでいた)。 ある人がこれに言った。 「もし月の中に影が無ければもっと明るいだろうね。」 徐孺子は言った。 「そうじゃないよ。譬えるなら人の眼に瞳があるようなものなんだ。もしなかったら明るくないはずだよ」.

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許玄度(許詢)が都にとどまること一月、劉尹は一日として訪ねない日はなかった。 そして歎息して言った。 「貴方が少しでも去らなければ、私は軽薄の京兆尹と成るだろう」. 魏の明帝(曹叡)は外祖母のために館を甄氏に築いた。 自ら行って視て左右に言った。 「館を何と名づけるべきか」 侍中の繆襲が言った。 「陛下のお気持ちは哲王に斉しく、孝行は曾閔(曾子と閔子騫)を上回っております、この館をお築きになったのは、舅氏を思っての事でございます。渭陽と名づければよろしいでしょう」.

Big5 余嘉錫『世説新語箋疏』(年)により校勘。 道気社 EUC. Big5 既已楼主氏の入力。底本は葉徳輝『双梅景闇叢書』(長沙,年)本。 既済真経 新語絲 GB 矚隙氏の入力。方舟子氏が高羅佩『秘書十種』により増補・校訂。 修真演義 新語絲 GB 矚隙氏の入力。〓氏が李零『中国方術概観』により校補。方舟子氏が高羅佩『秘書十種』により補全・校訂。 天地陰陽交歓大楽賦 (唐・白行簡) 中文昇電子図書館 GB. Big5 底本は三秦出版社,年本。老猫氏の入力。 道気社 SJIS 原本は太陽昇中文図書館本。 風俗通義校注 中華文化網 Big5 全文。 夢渓筆談 中華文化網 Big5 典故類・類書之属 藝文類聚 中央研究院漢籍電子文献 (人文資料庫師生版) Big5 検索。 中華文化網 Big5 全文。 小説類 古小説鉤沈 中央研究院漢籍電子文献 (人文資料庫師生版) Big5 検索。 中華文化網 Big5 全文。 小説類・雑録之属 漢雑事秘辛 (漢・無名氏)(明・楊慎?) 新語絲 GB 老猫氏の入力。底本は『紅虹添香室叢書』本。『香絶叢書』(国学扶輪社)本により覆校。 西京雑記(劉キン・一云葛洪撰) 中華文化網 Big5 全文。 世説新語 (南朝宋・劉義慶) 新語絲 GB 底本は余嘉錫『世説新語箋疏』(年)。 中央研究院漢籍電子文献 (人文資料庫師生版) Big5 検索。 中華文化網 Big5 全文。 中文昇電子図書館 GB.

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漱石枕流(世説新語) 書き下し文と現代語訳

孟昶がまだ世に出る前のこと、家は京口にあった。 かつて王恭が高輿に乗って鶴氅を着ているのを見た。 この時、微雪が降っていて、孟昶は垣根からこれを窺って歎息して言った。 「この人こそまさに神仙中の人だ」. 許允が吏部郎となると、郷里の人間を多く用いた。 魏の明帝(曹叡)は虎賁を遣わして許允を逮捕しようとした。 許允婦人は許允を戒めて言った。 「明主は理で説く事が出来ますが、情を以っては求める事はかないません」 許允が出頭すると、帝は覈問した。 許允はこたえて言った。 「汝の知るところを挙げよと申します。私の郷里の人は私の知るところであります。陛下、職に適っているかどうかお調べください。もし職に適わなければ、私は罪を受けましょう」 調べてみると、皆、適職だった。 なのでここにおいてゆるされた。 許允の衣服が破れていたので、詔を下して新しい衣服を賜った。 初め、許允がとらえられると、家をあげて泣き叫んだ。 阮家の新婦は自若として言った。 「憂える必要ありません。もうすぐお帰りになるでしょう」 粟の粥を作って待っていた。 しばらくするっと、許允は帰ってきた。.

鄭玄は春秋傳の注釈をしようとして、まだ出来てなかった。 ある時、旅に出て服子愼(服虔)と客舎に同宿したが、互いにそれまで面識が無かった。 服子愼は外にいて車上で人に自分が傳を注釈した主意を説いていた。 鄭玄はこれを長い事聴いていたが、多くは自分と同じであった。 鄭玄は車によっていって共に語って言った。 「私はながいこと注釈しようと思っているのですが、まだおわりません。貴方の言葉を聴くと多くは私と同じです。私が注釈したものを悉く差し上げる」 そして服子愼の注釈ということになった。.


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Misaki 16.05.2020 18:54 答える

GB 原本は太陽昇中文図書館本。 世説新語箋疏 中華文化網 Big5 全文。 萍洲可談 (南宋・朱イク) 北海道漢籍データベース SJIS 勝山稔氏の入力。底本は『後山談叢・萍洲可談』(上海古籍出版社,年9月)。 雨窓集 (明・洪〓) 北海道漢籍データベース SJIS 勝山稔氏の入力。底本は『清平山堂話本』(上海古籍出版出版,年)。 醒世恒言 (明・馮夢龍) 北海道漢籍データベース SJIS 巻1 勝山稔氏の入力。底本は『醒世恒言』(江蘇古籍出版社,年)。 新語絲 GB 買油郎独占花魁(第3巻)・蘇小妹三難新郎(第11巻)・金海陵縦欲亡身(第23巻)のみ 巻3は蒋華氏の入力。底本は『醒世恒言』(人民文学出版社,年)。老猫氏が吉林文史出版社本により校補。巻11は蒋華氏の入力。底本は『醒世恒言』(人民文学出版社,年)。老猫氏が校対。巻23は清華文通によるOCR入力。底本は吉林文史出版社年排印本。老猫氏が校訂。 警世通言 (明・馮夢龍) 北海道漢籍データベース SJIS 巻1~巻4。 勝山稔氏の入力。底本は『警世通言』(江蘇古籍出版社,年)。 浮生六記 (清・沈復) 新語絲 GB 巻1~巻4 熊龍峯四種小説 北海道漢籍データベース SJIS 勝山稔氏の入力。底本は『熊龍峯四種小説』(上海古籍出版出版,年)。 小説類・志怪之属 捜神記 中央研究院漢籍電子文献 (人文資料庫師生版) Big5 検索。『新校捜神記』。 中華文化網 Big5 全文。 捜神後記 (晋・陶潜) 新語絲 GB 巻1・巻2 方舟子の校対。 閲微草堂筆記 (清・紀イン) 新語絲 GB 部分 亦非氏・国故生氏の入力。 小説類・伝奇之属 趙飛燕外伝 (漢・伶玄) 新語絲 GB 老猫氏・〓氏の入力。 遊仙窟 (唐・張文成) 新語絲 GB 叙陳正甫会心集 尹小林氏の入力。底本は『遊仙窟』(上海書店,年,景北新書局本)。『唐人小説』(上海古籍出版社,年)により老猫氏の訂。 種樹郭〓駝伝 (唐・柳宗元) 中華文化網 Big5 凶人 霍小玉伝 (唐・蒋防) 中文昇電子図書館 GB. 武帝(司馬炎)は王武子(王済)の邸へ行幸した。 王済は料理をだすのに、すべて瑠璃の器を使い、婢子百余人は、皆綾衣を纏い、飲食物を捧げ持っていた。 蒸し豚が美味で味が普通ではなかった。 司馬炎が不思議に思い問うと、王済は答えて言った。 「人の乳を豚に飲ませているのですよ」 司馬炎は非常に不快に思い、食事を畢えずして立ち去った。 王(王愷)、石(石崇)もまだやったことないことであった。.

Kazuko 22.05.2020 05:39 答える

劉公榮(劉昶)は人と酒を飲むのに身分を問わなかった。 ある人はこのことを謗った。 すると答えて言った。 「私に勝る者とは飲まねばならない。私に及ばない者とも飲まねばならない。私の仲間ともまた飲まなければならない」 だから終日共に飲んで酔っていた。. 郭淮は關中都督となって、甚だ民情を得て、またしばしば戦功をあげた 郭淮の妻は太尉である王淩の妹で、王淩の事件に連座してともに誅殺されることとなった。 使者の徴発はとても急なことだった。 郭淮は支度をさせ、日を決めて出発させることにした。 州府の文武官および百姓は、郭淮に兵を挙げることを勧めたが郭淮は許さなかった。 期日になり郭淮は妻を遣わした。 百姓は号泣し郭淮の妻を呼ぶ者は数万人に及んだ。 数十里行くと、郭淮は左右の者に命じ夫人を追いかけていって連れ戻させた。 すると文武官は駆け出し、自身の危急にしたがうようであった。 帰ってくると、宣帝(司馬懿)に手紙を書いた。 「私の五人の子が哀戀して母親を慕っております。その母が死ねば五人の子は生きていないでしょう。五人の子がもし死ねば私もまた生きていないでしょう」 司馬懿は上表して特別に郭淮の妻を連座させないようにした。.

Goro 17.05.2020 23:38 答える

Big5 部分。 乾隆抄本回本。 杏花天 (清・天放道人編次・白雲山人批評) 新語絲 GB 中文昇電子図書館 GB.

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